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海苔の歴史NORI HISTORY

縄文・弥生時代

当時の遺跡からアラメ、ワカメ、ヒジキ、ホンダワラ等の海藻が発見されていることから海苔も食されていたものと類推されています。

大和朝廷の時代、海苔が神話、神饌(しんせん)(供物)に取り上げられ、また海苔市が出雲に出現しました。

大宝律令の調としての海苔

飛鳥時代の終わり、日本で最初の法律書である大宝律令(701年)によって海苔は調として納める海産物39種類の内の一つとして制定されました。海藻の貢納制度は奈良平安朝時代を通じて、2、3百年は続けられたとみられます。大量に都に持ち込まれた海藻が俸給がわりに大勢の人に支給されたり、都の市で売買されたり、寺院の精進料理に用いられたことにより藻食が普及、貢納制度も藻食を推進した社会的要因の一つと考えられています。

鎌倉時代には源頼朝が海苔を朝廷に献上し、この頃より全国的規模で岩海苔が贈答用に使われた記録が続々とあらわれてきます。

江戸時代

江戸時代に入り江戸の発展は急激で、特に浅草寺観音の門前町として古くから知られていた浅草は江戸の町の人々で賑わう場所となりました。門前にたつ定期市には江戸近郊の農産物、水産物が並べられ、特に年の瀬には葛西浦から漁師が持参した海苔が売られ、その柔らかさと色香はたちまち人目をひくようになったそうです。 それまでは海苔といえば生海苔が主でしたが、生海苔として消費できなかった分を手で押し広げて乾したものの評判が高まりました。

元禄時代、海苔の需要が高まるにつれ海苔を採る漁師達も本格的に増産に取り組み始め、享保2年(1717年)浅草の漁師、弥平は品川の海にヒビを建てて海苔がつくか試したところ、みごとに成功。これが「海苔養殖」の始まりです。時を前後して「海苔抄き」が始まりました。現在のような紙状の海苔の誕生です。浅草は信州上田と並ぶ落とし紙の産地でしたので、この紙抄きにヒントを得たのか、海苔抄きを紙抄きが真似たのかは明らかではありません。また、抄製法に少し遅れ、海苔を甕(かめ)に囲って湿気を防ぐ「囲い海苔方法」が創案され海苔の保存が可能になりました。

江戸時代、養殖による海苔の生産量の増加、商品価値を上げるための海苔抄き、保存する囲い海苔方法が整ったことで、本格的に海苔の専業商売ができる環境が整いました。

江戸時代以降

江戸の初期に出現した海苔の養殖方法が全国に広まったのは江戸後期と言われていますが、この養殖方法は建てたヒビに海苔のタネが流れついて成長するという自然の環境に頼るしかない養殖方法でした。

昭和24年、イギリスの海藻学者ドリュー女史が海苔の糸状体を発見し、海苔の育成過程が解明されたことで、それまで自然任せだった養殖法が飛躍的に進化しました。後年、海苔の研究がさらに進み、人口採苗法が広まり、生産量は安定。昭和48年には生産量100億枚に達しました。

参考文献: 海苔商二百年 山形屋海苔店社内史